遙かな歴史と人々の想いが息づく

善光寺表参道大門町界隈

武井工芸店は善光寺さんの門前、大門町にあります。
明治26(1893)年の創業以来、歴史ある善光寺さんと、
この界隈の街、人、風景とともに歩んできました。
伝統のたたずまいと、時代に対応したさまざまな試みが共存する
界隈の魅力を伝え続けていくこと、
そして、より魅力ある界隈へとはぐくんでいくことは
この地に暮らし、商いを営む私どもの大切な使命と考えています。


江戸時代の祇園祭の様子 大勧進前を巡行する屋台
松代藩の『善光寺祭礼絵巻』より

弥生時代以前から人が暮らした界隈

善光寺界隈大門町のあたりは遠く弥生時代(紀元前3~6世紀頃)以前から人々が住んでいたと言われます。道路改修や界隈のお店の建て替えの時、地下から縄文や弥生の住居跡などが何度も出てきて、その都度、人々を驚かせました。出土した遺跡や歴史資料は長野市立博物館で見ることができます。

その近くからは鎌倉・室町時代に善光寺に奉納されたであろう五輪塔や石盤が多数出ています。道路の改修時に出てきた五輪塔は善光寺の裏山、花岡平に集められています。


花岡平の五輪塔

江戸、明治のにぎわい

6世紀に善光寺が創建されると、この界隈は門前町として栄え、現代に続く町並みの基礎ができあがっていきます。

ことに江戸時代、大門町は北国街道の善光寺宿となり、本陣や旅籠が置かれ、参勤交代の大名一行や全国から訪れる善光寺参拝客で大いににぎわいました。その当時のお宅が今も何軒か残っています。

明治時代になり、長野県が誕生すると、この界隈は県都の中心地と位置づけられ、名刹善光寺の門前としてのにぎわいに加え、長野の代表的な商業地域としてにぎわいを保ち、歴史を刻んでいきました。


明治、大正、昭和前期の大門町界隈(2015年1月「大門町今昔写真展」より)

伝統と魅力を未来へつなぐまちづくりへ

1996年、電線の地中化に伴って行われた整備計画は<善光寺さんの前庭>をテーマに進められました。アーケードで見えなくなっていた伝統ある家並みが復活し、門前の街路には歩道だけでなく、車道にも石畳が敷き詰められました。

デザイン・設計を委託したのは、アメリカ人の造園・建築家マーク・ピーター・キーン氏。日本人よりも日本人の心を理解する青年の「前庭」というコンセプトは、当事者である私たちにも新鮮な驚きでした。そして同時に、未来に魅力をつないでいくまちづくりへの確信が持てるものでした。

当時のまちづくりの流れは、全国的に近代化、合理化一辺倒でしたが、この界隈で育ち、この町を愛する人々の情熱が、伝統と現代の調和によって美しく息づく善光寺門前の現在の町並み創造を実現したのです。

このデザインは、おかげさまで官民さまざまな団体から高い評価をいただき、その年の都市景観大賞(公益財団法人都市づくりパブリックデザインセンター)をいただくに至っています。

 
設計に携わったマーク・ピーター・キーン氏の絵図面と当時の長野市民新聞記事(1996年7月26日付)

その前庭を活かした活動として、<表参道冬の華>では300本もの真竹で冬の花を咲かせ、エイジフリーのファッションショーを石畳みで展開。また、1998年の長野冬季オリンピック期間中にはステンレス製の野外彫刻展を開きました。




「善光寺の前庭」としての活動はマスコミにも取り上げられ話題を呼びました。

圧巻は2003年から数回行われた「インフィオラータ」でした。チューリップ30万本分の花ビラを使って大門町の信号から信号まで130mの間に花のじゅうたんを展開しました。


2003年の「インフィオラータ」

2015年2月、大門町界隈の歴史を振り返った写真展を開き、思い出を語り合いました。内容を大門町上商店街のホームページに収録しています。
善光寺表参道 大門町上商店街協同組合の座談会ページへ → http://zenkoji-daimon.com/history/people.php

これからも大門町のコミュニティ整備(歴史の小路の整備、氏神さんである三社さんの整備、歴史の祭りを盛り上げてきた屋台の収蔵庫)や、町を訪れる人々のための情報塔の設置など、まちづくりの課題は目白押しです。 連綿と続いてきたこの界隈の空間をこれからも魅力のあるものに仕上げていきたいと思います。


長野市の夏の風物詩「ながの祇園祭」での大門町の屋台巡行(2014年)


屋台奉納を待ち受ける江戸時代の善光寺本堂  松代藩の『善光寺祭礼絵巻』より